しいの実シアター
芸術で育まれる豊かな心
演劇を暮らしの中に
小さな劇場で演じられる 生きた演劇
しいの実シアター
旧八雲村の山あいを進んで行ったところにある椎の木の森に、とても小さな劇場が佇んでいます。その劇場の名前は「しいの実シアター」。劇場内には舞台と100席のしいの木の椅子が並び、木のぬくもりを感じることのできる空間が広がっています。
ここは50年の歴史を持つ、劇団あしぶえの劇場として建てられました。
劇団あしぶえは劇場を設立するという夢を「あしぶえ村構想」として描きます。しかしそれを実現するためには資金不足という問題がありました。小さな劇団が劇場を立てることは容易なことではありません。この夢が叶えられるまでには多くの壁があったのです。
あしぶえは劇団員みんなで、少しずつお金を出し合って貯金をしていきます。目標金額は1千万円。一人一人が大きな金額を出すことが難しい中、この貯金は約10年間続きました。
そして、このあしぶえの夢は八雲村との出会いによって形になっていきます。あしぶえの強い意志と、八雲村をはじめ劇団員や家族、劇団の応援団など、多くの方々の協力によって設立したのが「しいの実シアター」です。
劇団あしぶえが辿ってきた道
劇団あしぶえは世界一を獲得した劇団です。あしぶえが28年もの間、演じているのが宮沢賢治が書いた「セロ弾きのゴーシュ」。役者の息が揃った絶妙なタイミングの「熟された演技」が繰り広げられるその作品は、1992年「第2回アメリカ国際演劇祭」で最高賞を受賞。海外では6つの国際賞を受賞しています。
しかし、あしぶえがそこへ辿り着くまでに歩んできた道は、多くの苦難が待ち構えた険しい道でした。
今から50年前、松江南高校演劇同好会の5人の若者によって誕生した「劇団あしぶえ」。
発足当時は演劇を受け入れてもらうことが困難な時代でした。若者の一人であり、劇団あしぶえ代表の園山土筆さんが当時の厳しさを語ってくれました。
演劇講演のプログラムを配るため、あるお店を訪れた時のこと。
「塩を持っておいで」
お店の人からいきなり投げかけられた強烈な一言。塩とは穢れをはらうものを意味します。自らの身をもって演劇は縁起の悪いものとしてとらえていた社会を感じた瞬間でもありました。
しかし、ここから生まれた悔しさが「演劇を人々の暮らしの中に」という、あしぶえの強い意志を生み出すものとなったのです。
あしぶえの活動は演劇だけではありません。しいの実シアターを拠点にして演劇祭やまちづくりまでをも担っています。「土地の人に愛されるために」という思いから、しいの実シアターは民家を見渡すことがでるところに建てられました。そして、劇団員は地域活動にも積極的に参加しているのです。
また、海外の劇団を招いて開催する国際演劇祭が4年に1度開催されるなど、しいの実シアターを拠点としたあしぶえの、地域に根差した「演劇によるまちづくり」が行われています。
演劇は芸術
しいの実シアターでは演劇を「こころの食べもの」と言います。演劇をみることで人は様々な感性や感情、感動と出会います。そうして自分の心と対面することによって、その人の心はより豊かなものになっていきます。それは人々の暮らしに大切なものです。演劇は「脳が発達する前の0歳の赤ちゃんの時から大切なもの」とされています。これは「演劇を人々の暮らしの中に」というあしぶえの活動の思いの部分でもあり、「演劇は芸術」そのものなのです。
果てしない歩み
しいの実シアターでは、企画したイベントなどの後に、多くの振り返りを積み重ねて歩み続けています。振り返りというのは「決して悪かったことだけではなく、よいことも探すこと。そしてみんなが発言する。」しいの実シアターではこのことをとても大切にしています。そのような丁寧な活動が、確実な歩みになっていきます。まずは「考えることが大事」。園山土筆さんからのメッセージです。
小さな劇場で演じられる生きた演劇。小さな劇場は「役者の表情一つまで大事になる」と言われます。役者と観客の距離が近いことで、演技は気が抜けない、嘘のつけない迫力あるものへとなっていきます。そして、観客はその演劇をとても間近にみることができるのです。
「劇場の空間は観客の反応で大きく変化します。」あしぶえの世界での経験から気づいたことは観客の反応や表情の違い。日本の観客の反応が薄いと感じ、「お客さんを育てること」それもしいの実シアターの仕事の一つだといいます。世界で一番間近で演劇を感じてほしいです。
編集後記
しいの実シアターで迎え入れてくださる方々の表情の豊かさがとても印象的でした。多くの山を乗り越えて今があることに、しいの実シアターの歴史を感じます。
自然のぬくもりのある空間で人の作り出す生きた演劇をこころで感じてみませんか?
花崎 雪