明々庵
不昧公が残した茶室で
“ありのまま”を感じる
洗練された美を五感で
明々庵とは
明々庵は大名茶人として知られる松江藩藩主、不昧公(ふまいこう)の好みに合わせ1779年に建設された茶室です。明治維新後に東京に移されるも、1966年の不昧150年忌に現在の松江市赤山に戻ってきました。分厚いかやぶきの屋根に覆われた茶室には不昧公筆の「明々庵」の額が飾られています。明々庵ならではの造りに、当時の茶人たちのこだわりがうかがえます。
不昧公の心
不昧公は17歳で松江藩7代藩主になり、当時の財政破綻状態を解決しようと「薬用ニンジン」「たたら製鉄(玉鋼づくり)」などで藩政改革を進めました。その傍で18歳で茶道を、19歳で禅学を学び、茶道と禅を究めていきました。その不昧公の茶道には「茶禅一味」の精神が宿っています。不昧公は、茶道は禅から起こったものであることから礼に始まり礼に終わるなど、求めるところは禅と同じであるべきだと言いました。
明々庵の茶室に「明々百草頭」(めいめいたりひゃくそうとう)と書かれた掛け軸があります。"明々”とは、はっきり、ありありとしているさま。"頭"は意を強める助詞。"百草"は草花に限らず、森羅万象、山河大地、草庵人畜、一切の存在と現象を意味しています。「存在のひとつひとつ、現象のひとつひとつには、仏の意思があり、意味がある。」ということです。
当時、茶道は上流階級の特権とされ、しかし不昧公は「お茶は難しいものではない。お湯を沸かしお茶を点て飲むただそれだけのこと。でも当たり前のことが、当たり前にできるその難しさを知りなさい。」と言い松江城下町に茶の湯文化を広めました。茶の湯を誰もが楽しめる文化にしたのは不昧公のおかげなのです。明々庵ではそんな不昧公の「心」を感じることができます。
部屋の雰囲気
明々庵では綺麗に整えられた庭園を見ながらお茶を楽しめます。正面から見ると「心」という漢字に見えるよう手を加えられた木々は四季の移り変わりとともにその姿を変えていきます。
茶室に飾ってある花は、明々庵に訪れる人々が野山で摘んできたものです。豪華に飾り付けるのではなく、自然の中のそのままの姿や、満開ではなく蕾のまま飾ることで侘び寂びの心を表します。
お茶とお菓子
松江は古くからお茶どころとして有名です。事実、1世帯あたりの緑茶の消費量は全国1位(2016年/総務省統計局)です。この茶の湯文化の礎を築いたとも言われている不昧公好みのお茶を明々庵では味わうことができます。このお茶は長寿や健康に良いとされ、世代を超えて親しまれています。
また、茶の湯文化と併せて和菓子の文化も発展していきました。明々庵で出されるお菓子はお茶の苦味に合うように、一般的なものよりも少し甘めに作られています。四季折々の短歌になぞらえて作られたお菓子は中には店頭で販売されてないものもあり、ここでしか味わえないものも。
お茶のいただき方
①茶碗を前に出されたら一礼する。
②茶碗を左膝前に置き隣客に「お先に」と挨拶し、膝前に茶碗を置きお茶を点てた方に「お点前頂戴いたします」と挨拶する。
③茶碗を右手でとり左手にのせ、目より少し上に掲げ、茶碗の正面(出されたところが正面)を避けるために、時計回りに2度回して向きを変える。
④お茶をいただく。最後は「すっ」と音を立て残りを全て吸いきる気持ちで飲み切る。
この音が美味しかったですよという意思を表す。
⑤飲んだら右手の指先で飲み口を軽く拭う。
⑥抜けた指をお手拭きで拭く。
⑦茶碗を正面に戻すため先ほどとは逆に2回まわして戻し、畳のヘリの向こう側の膝正面に置く。
※裏千家を参考にしました。流派によって違います。
基本情報
<開館時間>
4/1~9/30 8:30~18:30(受付18:10まで)
10/1~3/3 18:30~17:00(受付16:40まで)
<ホームページ>
編集後記
明々庵の茶室・庭の作りや置物には不昧公が込めた意味があり、禅の心を感じることができました。季節や天候によって姿を変える風景、音と共に不昧公の心を感じてみてください。
國本 翔